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スポーツ戦争 [スポーツ]




 「私の国は、1つの国に2つの文字、3つの言語、4つの宗教、5つの主要民族、6つの共和国、7つの隣国を持ち、8つの少数民族が住む」が旧ユーゴスラビアを表した言葉であり、それだけでいかに複雑な国だったかが容易に想像できます。この空爆の後マケドニア紛争で1990年に始まった10年以上に亘るユーゴスラビア紛争が終息します。

 この複雑な国が第2次大戦中の1945年にイタリア・ドイツから独立を果たしてから1992年に解体されるまで半世紀もの間維持してこれたのもヨシップ・ブロズ・ティトーというカリスマのおかげであり、それゆえに彼の死後民族主義の増大によって急速に解体への道をたどることになる。また彼が後継を指名せずに死去したことも紛争の遠因とされている。

 
 この紛争で印象に残ったのがEURO92でした、当時はまったくサッカーに興味はなかったのですが…

 現名古屋監督のドラガン・ストイコビッチが主力だった当時のユーゴスラビア代表『東欧のブラジル』と称されるほどのタレントの宝庫で90年W杯イタリア大会では準々決勝で一人少ないながらも優勝したアルゼンチンに120分間でドロー。PKで敗退したものの、EURO92の優勝候補に挙げられるほど強烈な印象を残した、当時の監督は前日本代表監督のイビチャ・オシム。
 EURO92予選を勝ち上がったものの、ユーゴスラビア連邦軍がサラエヴォに侵攻するにあたってオシム監督が辞任。国連はユーゴスラビアに対しての制裁を決定し、これに呼応してFIFA、UEFAはユーゴスラビア代表の国際大会からの締め出しを決定。EURO開幕直前にスウェーデン入りしていたユーゴスラビア代表は大会に参加することなく帰国、この大会の優勝したのが代わって出場したデンマークでした。ユーゴスラビア代表は94年のアメリカW杯も出場を許されなかった。
 

 今回のWBCは韓国ではスポーツ戦争と報道されてたそうですが…スポーツが政争の犠牲にされてしまう、特にサッカー選手のピークは短く当時のユーゴの選手たちはW杯やEUROに出れていればもっと評価されていたはず。こんな事は起きては欲しくないです。
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ホタルの館

WBCで韓国は日本への批判報道をまたやっています・・。
by ホタルの館 (2009-03-27 04:56) 

caco

スポーツに限らず、戦争等で人生が変えられしまった人かなりいるんでしょうね。。。オリンピックもボイコットした事もあったし。
韓国の報道はカチンとくるものがありますが、あの戦争で人生を狂わされた人がいて、日本人でさえも戦争で苦しんだ事を思うと。勝っても負けてもどちらも幸せでない。
上手く言えませんが、加害者が被害者に対してこんなに謝っているのに許してくれない。とも言えないので、難しいです。

ただ、言えるのは戦争を起こしてはいけない。戦争は問題を解決するのではなく、問題を複雑にしてしまう。
スポーツを心から楽しめる為にも、世界全体がいがみ合わずに済むといいのですが。道のりは険しい。
by caco (2009-03-28 08:49) 

じぃじぃ

こんばんは、
来訪ありがとうございます。
報道されない所ではもっと悲惨なことがあるはずです。
思うようにはならないものですね。
by じぃじぃ (2009-03-29 02:46) 

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